途中から入る PM の教科書/ はじめに
途中から呼ばれる方へ
2026-10-16 / 石川 裕之(株式会社ミカエルライト 代表取締役)
日曜日の夜、あなたは明日から入る案件のメールを読み返しています。転送されてきたやりとりは百通を超え、途中からは返信の引用が何重にも折り重なって、誰が何を言ったのかを追うだけで目が疲れてきます。読み取れたのは、予定から遅れていること、お客様が先月の会議でかなり強い言葉を口にされたらしいこと、そして明日の午後には定例会議があることくらいです。気持ちを落ち着けようと、本棚からプロジェクト管理の本を一冊抜いて開いてみます。最初の章には、プロジェクトの目的を定め、関係者を洗い出し、計画を立てる手順が丁寧に書かれています。読み進めるほど、明日の自分にはあまり役に立たないことが分かってきます。目的も、関係者も、計画も、もうあるからです。あるけれども、どれが今も生きているのかが分からない。困っているのは、そこです。
この本は、その夜のために書きました。
私がプロジェクトに呼ばれる事情は、一つではありません。立ち上げたものの、この先どう進めればよいか見えなくなったとき。軌道には乗っていて、ここからもっと大きくしていきたいとき。前任の方が急に抜けて、空いた席をすぐに埋めなければならないとき。どの場合も、すでに動いているものを整えるところから、仕事が始まります。それも一件だけを見るのではなく、何件かを並べて見ています。関係者は多く、会議を進める役も、最後に決める役も、たいてい私のところに回ってきます。
この本を届けたいのは、同じような境遇で働いている方です。途中から呼ばれ、動いているものを整える役と、決める役と、場を回す役を引き受けているマネージャーの方。自分の経験から考えてきたことを渡すのですから、同じ場所に立っている人に渡すのがいちばん役に立つ、と考えました。
教科書は、始める人のために書かれている
プロジェクト管理の知識を体系としてまとめたものに、米国の Project Management Institute が発行している PMBOK ガイドがあります。この体系は、二〇一七年の第六版まで、プロジェクトの仕事を「立ち上げ」「計画」「実行」「監視・コントロール」「終結」という五つのまとまりに分けて整理してきました。二〇二一年の第七版で、原則と「パフォーマンス領域」を軸にした書き方へ大きく改められましたが、長く使われてきたのは、始まりから終わりへ、その順に何をするかを並べた形です。
この並びは、プロジェクトを始める人にとってはよくできた手順です。けれども、途中から入る人がこの手順を手に現場へ立つと、困ったことが起きます。「計画を立てる」の段に来たとき、計画はもうあります。それを脇へ置いて手順どおりに立て直せば、現場の方々の目には「また一から説明させられる」と映ります。かといって、そのまま受け取ろうとすると、その計画がいつ、誰の判断で、どんな前提のもとで作られたのかが分からない。手順には、すでにあるものの確かめ方までは書かれていません。
途中から入る仕事は、立ち上げを小さくしたものではない、と私は考えています。使う部品はよく似ていても、部品を手に取る順番と、部品に向き合う態度がまるで違うからです。始める人は「何を決めるか」を考えます。途中から入る人が最初に考えるのは、「決まっているように見えるもののうち、どれが本当に決まっているのか」のほうです。
決まっている、決まっていない、そのあいだ
着任した日に目の前にあるものを、私は三つに分けて見るようにしています。
一つは、決まっていることです。誰がいつ決めたのかが分かり、議事録や合意の記録で確かめられるもの。もう一つは、決まっていないことです。まだ誰も決めておらず、関係者もそれを承知しているもの。この二つは、扱いにそれほど困りません。決まっていることは尊重し、決まっていないことには決める人と期限を立てれば片づきます。
手ごわいのは、そのあいだにあるものです。決まっていると、みんなが思っている。ところが、誰がいつ決めたのかを尋ねると、答えが返ってこない。会議で一度話題になり、反対する人がいなかったので、いつのまにか前提として扱われるようになったもの。前任の方が「こうしましょう」とおっしゃって、その方が抜けたあとも惰性で続いているもの。資料の片隅に書かれたまま、誰も読み返していないもの。
このあいだのものは、平時には問題を起こしません。むしろ、決まっていると思われているおかげで、議論が蒸し返されずに済んでいる面さえあります。困るのは、それが揺らいだときです。お客様が「そんな話は伺っていません」とおっしゃったとき、社内の誰も「いつ、誰が、どの場で決めたか」を示せない。前任の方がいれば「あのとき確かに」と言えたことも、途中から入った人には言えません。
そして、こうした前提が揺らぐのは、プロジェクトの形が動くときです。先が見えなくなったとき、もっと大きくしようとするとき、担っていた人が抜けたとき。途中から人が呼ばれるのも、ちょうどそういうときです。二つが重なるのは偶然ではありません。進め方を見直そうとしたり、範囲を広げようとしたり、人が入れ替わったりすると、皆が手元の作業の根拠を確かめ直すようになり、そこで前提が誰にも裏づけられていなかったことが表に出ます。前提が揺らぐと手戻りが増え、手戻りが増えると、また別の前提が問い直される。途中から入る人は、決まっていると思われていたものが一斉にきしみはじめる時期に、整える役として着任する、と言ってもよいくらいです。
あいだのものを見分けるのに、むずかしい調べものは要りません。決まっているはずのことについて、「それは、いつの、どの場で決まったことでしたか」と一言尋ねてみるだけです。日付か会議の名前が返ってくれば、決まっている側です。「前からそうなっているので」「たしか前任の方が」と返ってきたら、あいだにある、と見当がつきます。尋ねられた方を責める問いではありません。議事録を探す手がかりを伺っているだけなので、たいていは気軽に答えていただけます。
この本の前半の章は、形こそ違いますが、どれもこのあいだのものを見つけて、決まっている側か、決まっていない側のどちらかへ移す作業を扱っています。何が最新かを確かめるのも、誰に聞けばよいかを地図にするのも、つきつめれば、決まっていると思われていることの裏を取る仕事です。
下流から遡って読む
PM の基本ができていれば、途中からでも同じようにやれるのではないか、と思われるかもしれません。途中から入る仕事では、その基本を使う順番が逆さまになります。
立ち上げの手順は、上流から下流へ流れていきます。目的を決め、範囲を決め、計画を立て、体制を組み、管理の仕方を決めると、やがて報告が回りはじめる。途中から入る人の目の前にあるのは、その流れのいちばん下流、つまり今週の報告と、今日の会議と、課題管理表の今の姿です。上流は見えません。見えるのは、上流で決められたことが何か月もかけて流れ下り、いまここに溜まっている様子だけです。
ですから、途中から入る人は、下流から上流へ遡って読むことになります。報告の言葉と課題の動きを見比べるところから入り、どこで流れが淀んでいるかを見つけ、淀みの原因を整理し、そのうえで計画を見直して、最後に目的に照らしてマスト、つまり落としたらプロジェクトの意味がなくなるものを決める。この本の章の並びも、おおむねこの遡り方に沿っています。下流の今を確かめないまま上流の計画を直すと、直した計画はまた同じところで詰まります。詰まっている場所は、下流にしか姿を見せません。
順番が逆になるものが、もう一つあります。人との関係です。始める人は、自分で人を集め、自分が決めた役割を渡します。途中から入る人は、すでに誰かのもとで働いてきた人たちの中へ、あとから入っていきます。その人たちは、前任の方のやり方の不便なところを、自分たちなりの工夫で埋めながら働いてきました。課題管理表の備考欄に決まった印を付けて急ぎの件を見分けている、正式な定例とは別に、作り手どうしで朝に十分だけ声をかけ合っている、といった工夫です。途中から入った人が最初に信頼を得るのは、正しい計画を示したときというより、そうした工夫を壊さずにいられたときです。
呼ばれた事情が、最初の荷物になる
途中から呼ばれる人には、期待がかかります。そして呼ばれた事情によっては、期待と同じくらいの重さで、それまでの時期に溜まった疲れや不安が、まだ現場に残っています。
この失望は、着任した人の最初の一手の受け取られ方を変えてしまいます。ふつうなら「来たばかりだから、まだ様子を見ているのだろう」と受け取られる沈黙が、「この人も分かっていないのだな」と受け取られる。ふつうなら笑って済む小さな行き違いが、「やっぱり」と受け取られる。途中から入る人は、まだ何もしていないうちから、現場に残っている不安を少しずつほどいていく役を受け持っているわけです。
そうなると、早く成果を見せたくなります。けれども、急ぐとたいてい裏目に出ます。分かっていないまま決めたことは、あとでどこかから引っくり返され、そのたびに「やっぱり」が積み上がっていくからです。この本が着任してから最初の数日の過ごし方にこだわっているのは、そのためです。急いで何かを変えるより、何が分かっていないのかをはっきりさせ、それを正直に見せる。たとえば着任して一週間ほどで、あなたを呼んだ方に「ここまでは分かりました。ここはまだ分かっていません。この問いは、どなたに伺えばよいかも分かっていません」と紙一枚でお見せする。分かっていないことを、何が分かっていないかまで言える人は、それまで現場にあった「何が起きているのか分からない」という不安を、少しずつほどいてくれる人として受け取られます。
もう一つ、途中から入る仕事には、気を配っておきたいところがあります。働きの形です。途中から入った人の働きは、起きなかった炎上や、蒸し返されずに済んだ議論や、期限までに決まった一件の判断といった形をとります。ですから、途中から入る人は、何をもって「呼んでよかった」とされるのかを、呼んだ方と最初に言葉にしておく必要があります。そのための尋ね方は、第1章に書きました。
一人で何件も見ている方へ
この本は、一つの案件に専念している方だけを思い浮かべて書いたものではありません。むしろ、何件かを並べて見ている方のことを考えながら書きました。
何件も見ていると、どの案件にも毎日はいられません。月曜はこちら、水曜はあちら、という暮らしになります。そうなると、自分がその場にいない日に何が起きているかを、どうやって知るかが、仕事のかなりの部分を占めるようになります。報告を待っていれば教えてもらえる、というわけにはいきません。報告は、書く人が伝えるべきだと思ったことしか運んでこないからです。この本で、報告そのものより「滞り」を見ることや、管理の仕方を「自分がいない日にも、止まっているものを知らせてくれるか」で選ぶことを繰り返しお話しするのは、そのためです。
何件も見ている方には、もう一つ、思いがけない効き方をする話があります。一週間ほど手が離れていた案件に戻るとき、あなた自身が「途中から入る人」になっている、ということです。ついこのあいだまで自分が見ていた案件なのに、何が最新か、誰が何を待っているのかが、もう分からない。そういうとき、この本に書いた整理は、他人から引き継ぐときとまったく同じように効きます。
戻った朝に何から開くかも、決めておくと楽になります。溜まったチャットを古い順に読みはじめると、いつまでたっても、いま何が止まっているのかにたどり着けません。チャットは、起きたことを起きた順に並べているだけで、何がまだ片づいていないかは教えてくれないからです。先に開くのは、どれを正として扱うかを書いた一枚と、止まっているものの一覧です。そこで、自分がいないあいだに状態が動かなかった件だけを拾い、その件に関わるやりとりだけをチャットで遡る。読む量は、ずっと少なくて済みます。
紙一枚で始められることだけを書いた
この本でお話しする手は、どれも、紙一枚か、表計算の一枚から始められるものにしてあります。これには理由があります。
途中から入った人が、着任してすぐに新しい道具を持ち込むと、それだけで現場には「また一から」の合図として届きます。課題管理のツールを入れ替える、報告の様式を作り直す、新しい共有の場所をこしらえる。どれも、提案している本人には改善に見えますが、現場の方々からすれば、前任の時代に覚えたものを捨てて、新しいものを覚え直せという話です。しかも、まだ何が分かっていないかも分かっていない人が言い出したことです。
ですから、最初の数週間は、自分の手元の一枚で始めてください。分かっていないことの表も、正本の索引も、聞いた道の記録も、まずはあなた一人のためのものとして作ります。そのうち、その一枚を見せたときに「それ、こちらにも共有してもらえますか」と言われる日が来ます。そうなってから、皆で使う形に移せば十分です。
生成 AI も、同じ扱いをおすすめします。資料の山から下書きを作ってもらうには、とても役に立ちます。ただ、それはあなたの手元を速くする道具であって、現場に持ち込む前に、まず自分の一枚の中で効き目を確かめておくものです。どう持ち込むかは、第11章でお話しします。
どこから開くか
順に読んでいただければ、着任してから抜けるまでの流れに沿って話が進むように並べました。ただ、すでに渦中にいらっしゃる方は、いまの場面に近いところから開いてください。
着任の前の晩には、第1章と第2章を読んでいただきたいと思います。最初の一か月に何を変えて何を変えないか、そして着任した日に何から手をつけるかを書いています。着任して最初の週には、第3章と第4章が役に立つはずです。どの資料を正本、つまり正として扱うものと決めるかと、誰に聞けばよいかを地図にすることは、最初の週のうちに始めておかないと、あとから取り返すのに手間がかかります。
二週目に入り、報告は「順調」なのにどうにも手応えがない、と感じはじめたら、第5章から第7章を開いてください。報告の言葉と動きのずれの見つけ方、違和感の口にし方、「やってます」の数え方を書いています。見立てが甘かったと分かって立て直しに入る局面では、第8章から第10章です。原因の整理、マストの決め方、外したものの置き場所、そして決める立場の方への持っていき方を扱っています。少し落ち着いて、管理の仕方そのものを変えたいと思われたら、第11章をどうぞ。
最後の章だけは、少し変わった読み方をおすすめします。自分が抜ける日のための章なのですが、できれば着任してすぐに目を通しておいてください。入った日に自分が困ったことは、次に来る人が困ることでもあります。その一覧を書けるのは、まだ自分が困っている今のうちだけです。三か月もたてば、あなたにとっても、それは当たり前の景色になってしまいます。
本文には、表や雛形を載せていません。そのまま写して使える表は、巻末の付録にまとめました。本文で考え方を読み、手を動かすときに付録を開く、という使い方を想定しています。
この本に書いていないこと
途中から入る立場に絞って書いたぶん、書いていないこともあります。
見積もりの技法や、スケジュールの引き方や、アジャイル開発・スクラムの作法は、ほとんど扱っていません。この本で「スプリント」や「バックログ」という言葉を使うときも、作法を説明するためではなく、いま回っている仕組みの中に途中から入った人がどう振る舞うかを書くために使っています。
この本にできるのは、決めるときに何を見て、どういう順で考えると間違えにくいかをお伝えするところまでで、何をマストにするかは現場にいるあなたが決めることです。
効かない場面もあります。決める権限がまったく与えられておらず、決める立場の方に会う道もない立場で入られた場合、この本に書いた手の半分ほどは、そのままでは使えません。その場合は、本文の「決める」を「決める立場の方に持っていく」と読み替えてください。何をそろえて持っていけばよいかは、第10章に書きました。それでも取り合っていただけないときは、その状態そのものを、あなたを呼んだ方にお伝えすることになります。黙って抱えたままでは、呼ばれた意味を果たせません。
書き方について
この本に出てくる場面の多くは、「あなた」を主語にした、どこの現場にもありそうな場面です。特定の会社や案件の出来事を写したものではありません。考え方と判断の軸は私自身のものですが、それを説明する場面は、読んでくださる方がご自分の現場に置き換えやすいように組み立てています。広く知られた考え方や言葉を借りるときは、確かめられたものだけを、どこから来たものかが分かる形で書きました。
途中から呼ばれるのは、心細い仕事です。前任の方はもういないか、いても別の仕事で手いっぱいで、現場の方々は様子をうかがっていて、呼んだ方は結果を待っています。その中で、明日の朝に何をするかが一つでも具体的に決まっていれば、心細さはずいぶん軽くなります。明日の朝なら、資料を開く前に、紙の上に見出しを並べるところから始めてください。何を並べるかは、第2章に書いておきました。
Book
途中から入る PM の教科書
途中から入った人の最初の仕事は、分かっていないことの輪郭を描くことです。何が最新か、この時はこの人、報告ではなく滞りを見る、「やってます」を数える、立て直しは原因の整理から——15業種のプロジェクトを途中から立て直してきた経験を、明日の現場で使える判断の型にしました。
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